エナカのかなで

アイアム35歳。お年頃な自分と世界の観察日記。失敗日記。

自分の中が超生きづらい〜自分絶望期〜

いままでストイック方式が使えなくなった私


私にとってのハッピーって何じゃろなーと


まずは自分の本音をみなきゃねと思い


「どんなんがいいか?」

慣れないながらも私は自分に聞いてみた。


以下、私と自分の内側との会話。



自分「ってか、どーしたいとかないわー」


私「えっ?」


自分「ってか、誰かに甘えて全部許されたいわー」


私「それはムリ!どうしていいか分からんし、甘えたくないから」


自分「、、あそ!じゃいい!」


…しゅ〜りょ〜。


会話にならんし、

願いを聞き入れたり動けない私と自分の溝が深まるばかり。


そんはずなかろーが?!と理想を押し付けてきた私に自分はやる気なしモードとなっていた。


ありのままの〜

って流行ったけど

おいおい、実は生易しいもんじゃないな。


見たくない自分に対して、

いろいろ決め付けてきた私はフリーズした。


自分がキュークツ、、超生きづらい!


自分に優しくとか、認めるとかあんまり使ったことない手段を試していこうとするものの、


自分に優しくしようとすると

「甘やかしてどーする?」とか

「へっ」と鼻で笑うストイック野郎との攻防はなかなか骨が折れた。 


そんな絶望期は、

とにかく寝る

ダラダラする

妥協する

で何とか生きながらえた。


昔とった杵柄を捨てるって結構大変なのだった。











克服系人生の行き詰まり

私は小さい頃から、「頑張り屋さんだねぇ」と目を細められることが多かったように思う。


小さいながらに、「それってうまく出来てないってこと?まあ何かほめられてるんだな」と片隅で思っていた。


※意外に大人の褒め言葉って子どもには響かないことあり。

例 体格がいいねぇ。(オトナ)→太ってるってこと?!(子どものワタシ)


何でも失敗して覚えてきたし、自分は不器用なんだなという認識も、ある。


苦手なことも、平気なフリをしているうちに何となくそれっぽく見えて、何にも知らなきゃ真面目やってるように見えてる、と思う。


父が努力は人を裏切らないってな熱型肌で、私は不器用➕間に受けやすいタイプのため、ストレートにそれに従って頑張ってきた。


大失恋時、「努力も人裏切るやーん!」と理不尽な思いに、やり場がなくなってからというもの一体全体どこに気持ちを持っていっていいか分からんくなり、多少ムリして合わせてきた人間関係に耐えられず、すまん!といって、絶ってしまった。


習慣や今までの価値観は、自分をまだ頑張らせようとするけど、ちょっとしたことで涙目になり、説得しようにも、

心身は「へっ、やってらんねーよ」となり、ストイック野郎と自分自身との折り合いがつかなくなってしまった。


今までのストイック野郎=克服系人生の限界を感じ始めたワタシは、動揺しつつ、何かねーがと彷徨い出したのだった。


続く。。



恋愛クラッシャーと3月のライオン

この間3月のライオン後編を映画館で見た。


帰りキャラメルポープコーンを勢いよく食べ過ぎて、気持ち悪くなった。


おわり!


じゃなくて、


マンガで胸を熱くしたエピソードとは別に、ものすごく琴線に触れたシーンがあった。


勝気な京子が将棋を愛する父、零くん、恋、人生に負けて笑っちゃいながら、この家は将棋に呪われてる!って父親にぶちまけるシーン


(あー分かるなぁ。

もうどうにでもなれ!って思いながら暴れたくなる気持ち

不幸だわ、ハハ!って投げやりになるよなぁ。

実際わたしも失恋で笑いながら転げたわ、、爆


翌朝、京子の父は、子どものとき、京子が零に将棋で攻め込まれて、いい気になるんじゃないわよ!って怒りぶちまけて投げた局面を並べてて


覚えてるか?って見せて


実際に駒を動かしながら、


あの時京子には勝ち筋があったって見せる


(画面の京子と一緒に、えっ?!)


、、、あの時零も必死だった。自分を信じなかったのは京子自身で、勝てたんだ。

京子の人生も勝ち筋があるはずだ。

応援してる。


(、、、ぉとうさーん!!)


勝手に拗ねて、

勝負を投げて、決めつけた場面も、

相手も必死で、

自分だけが負けて情けなく思えて

相手を恨んでも、

結局自分が自分を信じきれなかったってことが、


私の大失恋までの色々と一緒にぶぁっと駆け巡った。


恋愛も結局、イヤな自分と向き合いたくなくて


もう情けなくなりたくなくて


素直になるのがこわくて


必死になって負けるのがこわくて


勝手に並べた盤を「ぅおおお!」って荒らして拗ねてた。


アチャ〜ヽ(;▽;)ノ


結局、人生も恋愛も、自分への愛と信頼だなぁ。


恋愛クラッシャーの私は、深い感動とともに思った。


そのあとの京子の踏み込んだ一手ににやけた。


痛手を味わい尽くした頃に、この映画に出会えてヨカッタ。










ストイック野郎のもがき

自分の見直し始まったときも


自分の中のストイック野郎に急かされ続けていた


『そんなんじゃ特別にならへんで』


『だからダメなんじゃ』


その声に、いつもならふんぬー!と頑張るところだが、


大失恋でヘロヘロ

&

世の中不信になっている私には


響かない、、


でも価値観はストイック野郎のままだから今までのように頑張れない自分がどーにも受け入れられへん


身動きとれず、低空飛行をしてる中で


“あなたはあなたのままでいい”


“みんな1つ”


そんなメッセージの本にも触れるようになった


でもさ、そんなん慰めでしょ?


と思いながらも


受け入れられたら、なんかうまいこといくのか?


と今度はまた受け入れようとガンバりはじめた


、、、条件じゃ自分や人生動かないって気づいたはずだけど、、


やっぱりおんなじ罠にかかっとるがな


とりあえずそんなメッセージもあるんだなと横に置いて


ストイック野郎、まだまだ暗闇へ突っ込まないと気が済まない、爆


とまらな〜い(*'▽'*)





内面の旅〜世界を憂う期〜

強制的なスピ修行のち、なんか根本的に違うかも?となったことで、


自分の本音に向き合う一歩を踏み出した私だが、


それから歩いてきた過程を段階に分けると


☆世界を憂う期

☆自分絶望期

☆自分受容期

☆自分調整期

☆自分再構築期

 

になるような気がする。


世界を憂う期は、


なんであたしが失恋せねばならんのやー?

なんでこんながんじがらめの生きづらい感じなんだー?

なんでやりがいある仕事はないんやー?

なんでくだらない争いに巻き込まれるんやー?

なんでメンドくさい人付き合いが発生するんやー?

なんでやな気持ちにさせる世界で生き抜かなきゃいけないんやー?


書いてて思ったが、世界を憂う期は、よく聞く2歳児のイヤイヤ期に似たもんなのかもしれない。


でも一応オトナな年齢なもんで、

誰かに、もういやー!って丸投げでしたところで、どーにもならず、自分に返ってくることも分かる。


見渡すと、自分がいいなって思う人や世界を生きてる人がいるし、


10代、20代の妬んだり、傷ついたり、勘違いしたりすることは、経験し尽くして、そこじゃない気がする。


別に能天気そうなのに自己実現してたり、幸せそうな人もいるよな、、


才能とか能力とか条件じゃないとしたら、


何が違うの?

何が悪いのさ?


こうして自分を疑いだす自分絶望期へ移行する。(この時期は辛い)


さあ、いざ絶望の旅へ!

 









ほんとにハッピーになりたいのかね?

願望をひねり出したとき


あっわたし


人に言って理解される願いを捏造してる。


って心の奥底で気づいていた。


焦りや自己否定や願いそのものに対するイメージが先行して、その気づきを拾いあげなかったけど、


ダメじゃ!こりゃ!ってなって、じゃあ、自分はどういうこと願ってるんだろ?って探る中で、


いまのわたし自身が幸せになることじゃなくて、

理想のわたしになったら、叶うことをイメージしてるんだなと思った。


自分に歩みよらず、

理想の自分に全てを寄せようとしていた。


もういっこ気づいていながら、やめられなかったこと。


人間関係の中の愛情や評価を受け取れない。何かこわい。


回避には何か理由があると思い、心あたりを探ってみた。


愛情や評価を受け取ったら?


周りの目がコワイ。

何か返さなきゃみたいで重い。

自分がいいのか?!


それに、まだ拗ねてたーい♡

素直に受け止めてる自分なんて恥ずかしいし。


ってことだった、爆


何とも幸せの防御力高めに生きていた。


へー。


はー。


幸せになりたいに決まってる!と言えない複雑な心模様。

 

受け取り損ねた、過去のいろいろは、しょうがない。


でもそろそろ幸せになってみるのもいいのかもしれない、とちょっと思う。


素直って、あまのじゃくなわたしでもなれるかな?


私にとってのハッピーって何じゃろな?


対立関係にあった自分と向き合う一歩を踏み出した私。


続く。




















ジブンが許されへん?

願望成就に、炎をもやし、なんだか自分や周りを燃やしてしまった私。


なんで、こんなことをなっちまったのか?


しばし振り返りたい。


失恋の痛手のとき、


もー絶対世界の方がおかしい!怒


と思うと同時に


失恋する前から


いや物心ついたときから


『何か自分が悪いところがあったんじゃない?』


という見方で自分を責めていた。


『世界がおかしいカラ〜!』


『いや私が至らんカラ〜!』


の思考で、心はピーんっと引っ張られ、


傷つけた世界を嫌い、


傷ついてる自分を嫌った。


しかし傷ついたままの自分は許せない。


そんで無力感は生まれ


何か挽回しなきゃ!


どうしたらいい?と考えて、


急ぎで作りあげたのが、


スピ修行前に掲げた願いだった。


願望成就目指して邁進してるはずが


気づくと義務感と新たな拒否感にがんじがらめになっており


全然進んだ気もしなくて、枯渇感におっかしいなーと悶えた。


何故に?!と焦る気持ちのままに


モーレツなスピ修行の日々。


自分でつけた✖︎と


世界につけられたように感じたでっかい✖︎


私が頭で作った願いは、願いじゃなくて、「もう✖︎つきたくない」という気持ちから生まれたまがい物で


ジブン⇨叶えられるんだったら、許す。


セカイ⇨叶えてくれるんだったら、許す。


自分と世界を許すための交換条件だった。


途中、先生に怒られないこと、先生に評価されることが目的になってしまって本末転倒になったのは、


傷つきたくない方が本音だったから、防御反応が作動したのだった。


…ジブンもセカイも、どうやら条件じゃ動かないらしい。


火だるまになって学び、少し正気を取り戻した私であった。


そして、なんか根本から違うのかも?と言葉にならない感覚から

自分を知っていく流れへ徐々に移行していくのだった。